原研哉

古来より日本はエンプティネスを運用してきました。昔の日本人は自然の中に神様がいると考えていて、その神様を呼び入れるために空っぽの神社をつくりました。中身は空っぽだけど、ひょっとしたら神様が入るかもしれないという場所です。つまり日本人は、そこにある可能性を拝んできたのですね。それが日本のエンプティネスの源流です。室町時代に生まれた銀閣寺や茶の湯、また日本の国旗の赤い丸も同じ流れの中にあります。それらはすべて、どんな意味も自在に受け入れる空っぽの器として、あらゆる可能性を内包します。 一方、シンプルという概念は150年ほど前に生まれました。それ以前の世界では、国を治める絶対的な力の象徴として、あらゆるものに複雑な文様が刻まれていました。中国の龍や渦巻きの模様、イスラムの幾何学模様、バロックやロココ様式など、世界は複雑性に満ちていました。しかしそんな情勢も、社会の中心が王から個人へ移ることにより一変しました。力の表象としての過剰な装飾は消え、モノと人間の関係性を最短距離で結ぶかたちが合理的だと考えられるようになりました。そこにシンプルが誕生したのです。